りんと申します。
▼放送作家として10年お世話になり
▼振り返ればヲタしいことだらけ!
▼本当にありがとうございました
2009年9月11日第1回放送
2009年の9月11日に始まった、ニコニコ生放送の公式番組「松岡充の世の中ヲタしいことだらけ!」略して「世のヲタ」が、先日10周年を迎えました。
そして、10周年を迎えたまさに当日が、公式生放送としての最終回となりました。
放送開始当初は、ギリギリ20代だったわたしですが、皆同じように10歳ずつ年を重ね、気付けばアラフォー目前。
私がオバさんになっても、一向にオジさんにならない、松岡さんどうなっているんだ?は、さておき…。
ニコ生公式最古参の長寿番組
10年も番組が続くだなんて、まったく思っていなかったですし、10年も番組が続くだなんて、本当にすごいことだと思います。
10年もあれば、年を重ねるだけではない、様々な変化が、世の中的にも、自分自身にも起こるわけで…。
世のヲタ2年目に生まれた我が娘は、8歳、小学3年生になりました。
フリーランスの作家・産休
冒頭にも書きましたが、わたしはフリーランスの放送作家です。フリーランスの放送作家が、産休をとって、また同じ現場にすぐ戻ってくるのは簡単なことではありません。
妊娠・出産を機に、やむを得ず辞めなければならなかった仕事も、もちろんありましたが…。
松岡さんと、知る人ぞ知るFooさんのおかげで、わたしは産休をとらせていただくことができました。
わたしのワガママを聞き入れてくれたおかげで………。
この10年間、わたしにとって、月に1度の「世のヲタ」は、生活の一部でした。
10周年!まさかの最終回
そんな生活の一部が失われる?番組が最終回を迎えるかもしれないと、わたしが最初に聞いたのは、実はだいぶ前のことでした。
残りあと3回となった6月の放送で、最終回を迎えることが発表された時には、気持ち的にもだいぶ落ち着いていたのですが…。
わたしなどが落ち込んだところで、事実は何も変わらないとはわかっていたものの…。
放送作家という仕事を始めて、20年くらい経ちましたが、いまだに最終回は慣れません。たぶん一生慣れないんだと思います。
2クール半年で終!?
番組の中でも、何度も話題になりましたが、当初わたしが目にした企画書では、放送は半年で終了する予定でした。
ヲタしいとは、ざっくり言うと「ヲタク=素晴らしい」の意の造語です。
松岡さんと実際に打ち合わせする前は、今でいう「マツコの知らない世界」みたいな番組になるのだろうと想像していました。
ふたを開けてみたら、実際どんな番組だったのかは…(以下略)
わたしにとって「ヲタしい」は「ハンパないって」くらい、当たり前の言葉になりました。
月に1度の打ち合わせ・生放送
月に1度の生放送に向けて、放送前に打ち合わせと書くと、当日の生放送前の話でしょ?と思うかもしれませんが………。
世のヲタの場合は、放送2週間から1週間前に松岡さんご本人と、マネージャーさん、ディレクター、そして作家のわたし、主に4人で内容を決める打ち合わせをしていました。
これは本当に珍しいことで、松岡さんがいかに番組に力を注いでいたか?1度たりとも妥協していなかったかがわかるかと思います。
とはいえ、緊張感のある会議室で、ピリピリとした雰囲気の中で、などは1度もなく…。
時に、パン。時に、お弁当をいただきつつ、雑談多めの………いや、真剣に。10年間そうやって、松岡さんと、番組と向き合ってきたんだなぁ…と思うと、改めて。
何一つ、当たり前ではなかったんだなぁと感じます。
松岡充のヲタしいところ…
最終回の放送の中で、一緒に仕事をしてきたスタッフから見た「松岡さんのスゴイところ」を発表する企画がありましたが…。
わたしのくだりで尺をとってはいけないと、できるだけできるだけ短めにまとめたわけですが…。
松岡さんのスゴイところ「サービス精神」「妥協しない」「人を見ている」
気付けば10年も続けてきたわけですが、松岡さんは、ただの1回も「これでいっか!」がありませんでした。
常に妥協せず「もっともっと」と上を見続ける姿、ファンのみなさまはもちろん、すべてのスタッフへのサービス精神。スターなのに、一切手を抜かない姿には、ただただ頭が下がります。
また松岡さんは、ものすごく人を見ているので、どうとりつくろっても、バレてしまうだろうから、ありのままの自分で、10年間仕事をすることができました。
本当にありがとうございました。わたしの30代は、世のヲタとともにありました。
Twitter2回分の言葉では言い表せないくらい、松岡さんのスゴイところはたくさんある!ということは、松岡さんを知る方には伝わると思います。
生放送中の地震
10年間、全120回の放送の中には、生放送中に地震が起こることもありました。
ラジオの場合、地震が起こった時のマニュアルのようなものが、スタジオに用意されていますが、ニコ生にはありません。
突然の地震に、皆があわてる中、松岡さんは誰よりも落ち着いていました。
「(自分の生放送は)あとでも見れるから!今は自分の安全のことを1番に考えて!ラジオとかNHKとかで、ちゃんと情報をチェックして!」
だいぶざっくりですが、松岡さんは、こういった内容のことをくり返していたと記憶しています。
いつ何時も、松岡さんは自分以外の誰かのために、自分がどうすべきかを考えていたような気がします。
急な発病!生放送欠席
まだ小さかった娘が、体調を崩し、急きょ生放送の現場をお休みさせていただいたことがあります。
自分は元気なのに、仕事を休むことが申し訳なくて、わたしは松岡さんに謝罪のメッセージを送りました。
(略)
「こんな時こそお母さんに徹してください」
松岡さんからの返信で、どれだけ救われたかは、言うまでもありません。
りんちゃん
松岡さんは、アラフォーおばちゃんになったわたしのことを、変わらず「りんちゃん」と呼んでくれます。
松岡さんが「りんちゃん」と呼ぶからか、松岡さんのことが大好きなファンのみなさまも、Twitter上などで、わたしのことを「りんちゃん」と呼んでくれます。
もう、りんちゃんという年ではないことは百も承知ですが、「りんちゃん」と呼ばれることが、すごくうれしいですし、「りんちゃん」と呼ばれることが、すごくうれしいわたしのことも、松岡さんはお見通しなんだろうなと思います。
ありがとう!世のヲタ
松岡さんのスゴイところを挙げるとキリがないので、これくらいにしておきましょうか。
わたしは、10年間で松岡さんから、たくさんのことを学びました。
松岡さんなら、きっとこう考えるだろう。松岡さんなら、誰かのために、こんな行動を起こすだろう。松岡さんに恥じぬ自分でいたい。
アラフォーになっても未熟で「いじわる」な自分に、嫌気がさすことも多々ありますが、わたしも、もう少し「誰かのために」生きてみよう。
棚に上げがちな自分のことはさておき、もう少し「誰かのこと」を考えてみよう。最終回翌日の午前中の今は、そんな気分です。
10年間、番組が続けてこられたのは、どこかのエライ人よりも、見てくださった方のおかげ、そして松岡充さんのおかげです。本当に本当に、ありがとうございました。
以上!毎日は続いていく。
※生放送後の打ち上げで、涙0.5粒分くらい泣きました。ヲタしい話を、たくさんしました。わたしは、元気です。
▼ついでに、著者をフォローしてみる
Follow @fukudarin