りんと申します。
▼2011年1月生まれの我が娘
▼大人になっても東日本大震災の年に
生まれたんだねと言われるでしょう
▼当たり前ではない毎日を大切に…
2011年3月11日 東日本大震災
我が娘9歳、小学3年生。娘が生まれたおよそ2か月後に、東日本大震災が起こりました。
2011年3月11日
この日現場の仕事はなかったので、まだ2か月の娘と2人のんびりと過ごしていました。
家事をしつつ、ちょっとしたパソコン作業をしつつ。
7時おっぱい
10時50分おっぱい
14時おっぱい
娘のお昼寝中に地震は起こりました。娘を抱っこして、テーブルの下にもぐりました。
テレビは怖いので、途中で消しました。
何度も余震が起こりました。いくら揺れようが娘は熟睡、目を開けることもありません。楽しい夢でも見ていればいいなぁ…と思いました。
娘をだっこしながら初めて親としての自覚、みたいなことを考える。あたしが生きていれば母乳があげられる!すごいぜ母乳。がんばろうお母さんたち。地震のあいだひたすら眠り続ける娘。ビクともしない、目すら開けない。余震が続くなか、ブリブリブリとウンチした。
— りん / 放送作家 (@fukudarin) March 11, 2011
娘が母さんを笑わせてくれました。
そわそわとバタバタと、しかしいつも通りに過ごしました。
いつも18時過ぎに帰ってくるオットは、電車が動いていないため歩いて帰ると…。
オットよりも早くオットの友達(毎年大みそかを一緒に過ごす、もはや家族)が家にやってきました。
友達に地震が起こってから今までのことを、ひと通り話し終えたところで、21時過ぎにオットが帰ってきました。
夜ごはんは「鮭の唐揚げ」と「キャベツウィンナー炒め」「長芋となめたけを和えたもの」「お味噌汁」をみんなで食べました。
これが、わたしの2011年3月11日です。手帳を見つつ思い出せたのは、これだけでした。もっといろいろな感情があったはずなのに…。
地震があったその日よりも、その後の数日間の方がいろいろあった気もします。いろんな人が娘のために、水やら缶詰やら送ってくれました。
3月15日
決して当たり前ではない日常を、大切に大切に過ごしたいものだと…。
以上!忘れない。
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