一緒に仕事をしている女の子に、
自分年表をまとめてみたら?と提案した。
言うは易く、行うは難し。
人に言ったからには、自分も実行せねば…と、
成人するまでの20年間を振り返ってみた。
1979年12月17日
埼玉県に生まれる
1980年(0歳)
名前の候補は、他に「ゆき」があった。
1981年(1歳)1982年(2歳)
※不明
今度、両親に聞いてみようか。
いや、覚えていないとか言われそうだ。
成長記録(育児日記)をオススメする理由 : 放送作家りん の ブログ
1983年(3歳)
………サンタフェ
1984年(4歳)
お絵描き好きだったが、
大きな紙をもらっても、
いっつも片隅に小さな絵を描いていた。
1985年(5歳)
幼稚園入園
トランポリンの上でよろけて、
まさしくんの上に倒れ込むという、
少女マンガのようなハプニング。
この頃の将来の夢:本屋さん
1986年(6歳)
小学校入学
靴のサイズが16だったため、
上級生から「ジューロック」と呼ばれる。
1987年(7歳)
近藤真彦さんが「愚か者」を歌う姿を、
ビデオに録画する。
(はじめてのビデオ録画)
1988年(8歳)
習字、歌、英語、バレエ、スイミング
バトントワリング、エアロビクス、
ピアノを習っていた。
どれ一つとして、今の役に立っていない。
1989年(9歳)
スキー場に向かう車中、ラジオで、
新しい元号が
平成になったというニュースを聞く
1990年(10歳)
初めて買ったCD「おどるポンポコリン」
お父さんの焼きそばに輪ゴムを混ぜる!
という、いたずらをするも、
父が食べる直前に、良心の呵責を感じ、
「食べちゃダメ!」と叫ぶ。
1991年(11歳)
小5後半にして、初めて跳び箱が飛べた。
「りんが跳んだ」と学級新聞の見出しになる。
この頃の将来の夢:弁護士
1992年(12歳)
中学校入学。
テニス部に入部。
駅のホームに一列に並ばされて、
先輩から怒られるという時代を感じる思い出。
1993年(13歳)
Jリーグ開幕。
三浦知良選手と仲良くなるために、
武田修宏選手と結婚したいと考えていた。
この頃の将来の夢:スポーツ新聞の記者
1994年(14歳)
同級生と「サバの味噌煮」という
お笑いコンビを組んで、
ロンドンブーツ1号2号や、
フォークダンスde成子坂のネタを
コピーしていた。
この頃の将来の夢:音楽雑誌のライター
1995年(15歳)
高校入学
数Bが分からなすぎて、
机の間に、布団を敷いて寝た思い出。
この頃の将来の夢:放送作家
1996年(16歳)
真冬なのに、なぜかかたくなに
コートを着ることを拒否して、
案の定、風邪をひき、友達とケンカ。
1997年(17歳)
「恋は下心、愛は真心」とか、
「LOVEは、LがListen=相手の声を聞く
OはOverlook=相手のことを大目に見る
VはVoice=声をかけること
EはEffort=努力すること」とか、
そんな中二病的なことばかり考えていた。
この写真、よ―く見ると、手の甲に、
マジックで「楽しい」と書いた跡がある。
………怖い。
稲川淳二さんの怪談レベルで怖い。
あと、白目が白すぎて怖い。
ピンポン玉か、なんか埋め込んだみたいだ。
………怖い。
1998年(18歳)
上京。
上北沢と下北沢の距離を知る。
1999年(19歳)
過労?のため、
新宿のドラッグストアで倒れる。
この時、死んでいたら、最後の言葉は、
「コンタックは、どこですか?」だった。
2000年(20歳)
代々木駅周辺にある、
公衆電話の数を数えるという、
果てしない仕事の思い出。
今となっては、
公衆電話を見つける方が大変だから、
この仕事の過酷さが、まるで伝わらない。
お礼と謝罪
さてと、振り返ってみたところで、
どうしようか。
ああ、そうだ。
ここまで、読んでくださった貴方に、
お礼を言わなければならない。
わたしごときの、何も役に立たない、
つまらない半生の振り返りに、
お付き合い頂き、ありがとうございました。
無駄な時間を、過ごしてしまいましたね。
後悔先に立たずとは、このことですね。
明日の貴方に、幸あれ。
心より、お祈り申し上げます。
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